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99年9月21日に発生した台湾中部大地震に対して、10月1日から10日まで、南投県埔里地区において63名が災害救援活動を行いました。海外への災害派遣は今回が初めて。災害派遣は当然のことながら、出発までに時間がありません。資金調達、物資調達、隊員の募集、現地での拠点と活動内容、また学生が行ける環境であるか否かの情報収集を行い、出発の準備を進めながら派遣をするかどうかを決めることになります。今回は特に外国であり、しかも災害ということで現地の状況を把握するのに手間取りました。台北駐日経済文化代表処藍業務組組長藍清漢氏を通じてチケットのディスカウントや現地の情報提供をお願いしながら、インターネットをつかって、現地入りしている日本のNGO団体から情報収集を行いました。幸いなことに出発3日前に、第2次ラオス小学校建設隊に参加した、本協会のOB福西一雄君(国士舘大学卒)が台北に駐在しており、いろいろと動いてくれたことや、ADI災害研究所、神戸元気村の方々の協力を得て、救援隊を派遣することができました。 今回はこれまでの災害派遣とは違い、情報収集にインターネットを活用できたことが派遣に向けての大きな要因となりました。 |
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■「行かなきゃ隣国台湾へ……」 出発までに得たおもな情報は、現地はまだ余震が続いていること(9/28現在 余震7,400回以上)。宗教団体(仏教系・キリスト教系)が迅速な対応をしていること。軍隊が出動していること。高速道路は開通し都市部はボランティアが足りていること。日本のNGOが動き出したことなどでした。10月1日、台北空港からバスで4時間、震源地集集から北東25キロにある南投県埔里(人口8万人)に向かいました。街に近づくにつれ、1階が駐車場になっているビルのほとんどは崩れて傾き、車が無惨に押しつぶされ、市街地から少し離れると一般住宅が、見る影もなく全壊・半壊しており、家屋の周辺にはテントが所狭しと立ち並んでいました。現地ではYMCA、長老教会、慈済功徳会などの協力を得ました。 |
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■救援活動開始 到着2日目、埔里市街とその他4地区に学生を派遣し、救援物資の積みおろしなどを行いながら「我々は日本から来た学生です。何でもお手伝いをします」という中国語のポスターを掲示しながら、倒壊家屋で家財等を運び出している人たちの手伝いを行いました。翌日からはベースキャンプや活動している学生に直接被災者から要請が入るようになり、要請を受けた家屋には、監査隊を派遣し安全確認を行い学生を派遣しました。要請は多岐にわたり、倒壊家屋から、貴重品(現金・印鑑・パスポート・書類等)、電気製品(冷蔵庫・クーラー・電気釜等)、家具等の運び出しや、倒壊した椎茸栽培場の撤去作業倒壊した倉庫から耕耘機の搬出、川を堰き止めていた倒壊家屋の撤去、また畑のキュウリをもぎ取る作業も行いました。全壊家屋の場合は、屋根の瓦、若しくはトタンをはずし、中から家財等を運び出します。半壊の建物はザイルを使って倒壊させて作業を行いましたが、残念ながら危険と判断した作業はお断りしました。倒壊家屋の撤去作業中、突然「この部分だけは手をつけないでくれ。ここに子供が埋まっているから、自分で掘り出したい」と言われました。瓦 礫に埋まっている赤ん坊の父親でした。やりばのない悲しみと現実にどう 対処すればいいのか戸惑いました。余震が続く中、家屋が壊れていない家族も夜はテントで過ごしています。そんな子供たちと老人をベースキャンプに招待し食事会を開催しました。集まった50人の子供達と10人の老人達 に教会から借りた楽器を使ってミニコンサートを開き、カレーをつくって一時の楽しい時間を過ごしました。 |
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■危機管理 我々が出発した10月1日は、災害発生から10日目、これは阪神大震災に行ったときと同じ時間が経過していました。ここでは地震が起きた時間帯が深夜であったことで、火災はほとんど起きていませんでしたが、救援物 資に関しては前日握った、塩の付いていない「おにぎり」を持っていっても喜ばれた阪神と比べ、水・食料・生活必需品は行き渡っていました。ここの状況は阪神の災害発生20日目以上の様子でありました。このことは、日本と台湾の危機管理の差が歴然とあることを物語っていましたが、台湾にはシェルターを持つ家庭があることを聞いて納得しました。中国本土に対する備えを怠れない国なのです。こういった背景のなか宗教団体の迅速な行動にも驚かされました。例えば慈済功徳会は災害発生3時間後には物資を配り、連日3万2千人がボランティアとして活動し、我々のいる埔里にも仮設住宅を350棟建設していました。また、教会でも地域の人に食事を毎食提供していました。 |
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■親日国「台湾」 この国の人達は大変な親日国でありました。特に年輩の人達は60年ぶりに日本語を話し、私たちに涙を流して水やおかしを勧めてくれました。また、地元の新聞等を見てわざわざ南投市からベースキャンプを訪れ、 我々全員に食事をごちそうしたいといってきた人達もいました。帰国の日、空港近くのレストランで食事をしていたらそこのオーナーがきて、「ありがとう」といってすべてごちそうしてくれました。台湾の人達の日本人に対する熱い思いを感じました。帰国の前日、お世話になった大?の神父は私たちに語ってくれました。「住民が何をしたらいいのかわからない状態の中、あなた達が日本から来て救援活動を行ってくれた。あなた達は住民に生きる力を与えてくれた」と・・・。 |
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■ご協力、ご協賛いただいた団体■(敬称略・順不同) ・国士舘大学・国士舘大学同窓会・国士舘大学在職卒業生会 ・中華航空・(株)第一ビルメンテナンス・パラダイステレビ放送放送(株)・長谷川ハウス ・(社)東京コロニー東京都福祉工場 ・Pease.Boat松本・蔵八・小泉純一郎事務所 飯島 勲 ・台北中日経済文化代表処業務組 藍清漢・(財)交流協會台北事務所研究員 門間理良 ・日本交流協會台北事務所総務部主任 番馬正弘 ・ADI災害救援研究所 ・慈済功徳會・リスポンス協会神戸元気村副代表 吉村誠司・台湾基督長老教會 |